ウズベキスタン出発まで1週間になりました。
ウズベキスタンは割と遅い出発日なのですが、準備が全く終わっていないです。
ちょっと余裕があると思うと・・・ダメですね><
出発を目の前にし、「行きたい!」と思う気持ちと、
「ん~~日本は過ごしやすいし、ん~~」という気持ちがあります。
簡単に言うと、よくある新たな出発を前にし、希望と不安があるということです。
でも、青年海外協力隊でウズベキスタンに派遣され、そこで活動をするということは、
必ず私の夢のためになる、キャリアのステップアップになることを確信しているので、
自分の今後がとても楽しみでもあります!!
夢・・・
みなさんもよく幼いころから、「大きくなったら何になるの?」「将来の夢は何?」
と周りの家族、先生などの大人から聞かれた経験があると思います。
そのとき、何とみなさんは答えたでしょうか?
私は幼稚園生の時には、「お花屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と答え、
小学生の時には、「先生になりたい」「看護師になりたい」と答えていたことを覚えています。
このように、「大きくなったら何になるの?」「将来の夢は何?」という質問には、
「先生」「看護師」「警察官」「スポーツ選手」などの名詞で答えることが多かったと思います。
私も小学低学年までは、名詞で夢を語っていたのですが、途中で、名詞で答えることが出来ず、
どう答えていいか分からなくなり、夢についてきかれること最近まで嫌でした。
私は、小学6年生の時に所属していた委員会でユニセフ募金活動をやることになり、
その際に初めて自ら発展途上国のことについて勉強しました。
それ以来、私は発展途上国と言われる国々で人々を助けたいと思うようになりました。
しかし、何になったらそこの人々を助けることができるのか、まったく分からなかったのです。
そしてその何になるためには、何を学んだらいいのか、
どうすればなれるのかも、まったく分かりませんでした。
高校、大学へと進むにつれ、様々な形でSocial Justice・国際貢献があることを知り、
ますます私ができるSocial Justice・国際貢献ができるのか分からなくなり、
自分の夢についてどう答えたらいいのか分からなくなりました。
私が混乱していたのは、私は何故か夢を名詞で答えないといけないと思っていたからでした。
この勘違いで長い間混乱が続いていました・・・
それでもこんな風に私は社会の役に立てるかもしれない、
こんな風に役にたちたいという道が具体化しつつありました。
新たなことに挑戦するにつれて、その道はより具体的になったり、ほかの道が見えたりしていました。
そんな時、私はある言葉に出会いました。
私は大学を1年間休学し、オーストラリアで日本語教師養成講座を受講し、
その後約半年間カンボジアで日本語教師のボランティアをしていました。
その日本語学校には、カンボジアで起業したい人、
また会社をカンボジアにも進出させたい日本人社長が多く訪問していました。
そして学生たちと話すのですが、ある社長が夢について語り始め、
最後に「夢は自分では育むもの」であると言いました。
私はこの言葉がす~~っと心の中に入り込んでいき、夢は私がこれまでしてきたように、
様々なことを吸収していく自分の中で大きく大きくしていくものであること、
そしてそれは決して名詞で答えられるものでなくてもよいということを理解しました。
これから、青年海外協力隊で活動をしてくことにより、
私の夢はまた大きくなって、具体的になっていくと信じています。
ちなみに、今は日本語を教えたり、日本の文化を伝えたりすることによって、
国際貢献がしたいと思います。
その一方で、発展途上国において、経済だけが発展し、
その発展の利益を受けていない人々についても考えていきたいと思っています。
これを読んでいただいた人々の夢も、
これからもっともっと大きくなっていくことを願っています。